ホルムズ海峡封鎖以降、「ナフサ不足」はメディアの話題から急速に消えた。しかし上流から下流まで価格は高止まりしたままだ。これは「絶対量が足りない」のか「目詰まりしているだけ」なのか——財務省貿易統計(一次情報)と石油化学工業協会の発表を突き合わせると、答えは一つではなく、時期によって主因が入れ替わっていたことが見えてくる。
3月は封鎖前にホルムズ海峡を通過した貨物がまだ計上され、中東原油はむしろ前年比+4.5%という「猶予」状態だった。4月で絶対量不足が一気に顕在化(原油輸入▲63.7%)。5月には代替調達が進み絶対量はかなり回復した(原油▲57.3%まで縮小、ナフサ▲13.8%)。ところがエチレン稼働率は4月67.3%→5月68.1%とほぼ横ばいのまま。量が戻っているのに稼働率が戻らない——この矛盾こそが「目詰まり」の物的証拠であり、政府が4月以降使い始めた「足りているが目詰まり」という説明が、5月時点ではかなりの程度事実に即している可能性が高い。
② 4月:絶対量不足が本格化(原油▲63.7%、ナフサ▲47%)——この時期は「絶対量不足」が主因
③ 5月:代替調達で絶対量は急回復(ナフサ▲13.8%、米国6倍・EU3倍)も稼働率は68%台で停滞
④ 政府文書は4月10日付で初めて「足りているが目詰まり」を明言——主因のシフトと符合
1. 「足りているはず」——政府発表の変遷を時系列で読む
📌 前回記事:【2026年06月】石油は足りているのか——5月貿易統計と4月需給を一次情報で読む
2026年2月28日のホルムズ海峡事実上の封鎖から4ヶ月が経過した。当初は連日のように「ナフサ不足」「石化原料が枯渇」という見出しが並んだが、最近はめっきり報道されなくなった。しかし、ナフサ価格・石化製品価格は上流から下流まで高止まりしたままだ。報道が減ったのは「解決した」からなのか、それとも「慢性化して驚かれなくなった」だけなのか——この問いに一次情報で答えるのが本記事の目的だ。
まず、政府(経済産業省)の発表文言の変遷を時系列で並べてみる。
→「日本全体の石油供給は足りているが、流通段階で目詰まりが発生しているため、対策を一層強化」
4月30日「対応状況」資料
→「①川上の供給量が足りている、②中間財メーカーも通常の量の供給を維持しているにもかかわらず」目詰まりが発生
5月1日 高市首相、各省庁に対し「連休中であっても目詰まり解消に取り組むこと」を指示
注目すべきは、政府が一貫して「量は足りている」という立場を取り続けている点だ。これは3月の時点ではまだ言えなかった説明である。なぜなら3月時点では、絶対量そのものが急減していた可能性が高いからだ。次章でこの「3月」という月の特殊性を確認する。
2. 3月という「猶予」——封鎖前に通過した貨物の効果
財務省貿易統計(確報)で3月分の中東関連数値を確認すると、意外な事実が見えてくる。
| 品目 | 3月 | 4月 | 5月 |
|---|---|---|---|
| 原油輸入量(千KL・全世界) | 11,041(+2.4%) | 4,480(▲63.7%) | 4,727(▲57.3%) |
| うち中東原油(千KL) | 10,447(+4.5%) | 3,843(▲67.2%) | 3,967(▲61.9%) |
| 揮発油輸入量(千KL) | 1,623(▲29.3%) | 1,528(▲37.7%) | 1,825(▲13.7%) |
| LNG輸入量(千トン) | 5,869(+13.9%) | 4,269(▲20.6%) | 3,960(▲15.1%) |
3月の中東原油は前年比+4.5%——封鎖から1ヶ月経っているのに、なぜ増えているのか。理由は単純だ。貿易統計は「輸入許可の日」を基準に計上される。2月28日の封鎖直前にホルムズ海峡を通過していた船舶は、3月中に日本へ着荷・通関し、3月の統計に計上される。つまり3月の数字には、封鎖の影響がほとんど反映されていない。
この「3月の猶予」が、報道の温度感にも影響した可能性がある。3月時点ではまだ「危機」が統計上は顕在化しておらず、本格的な数字の悪化は4月分発表(5月28日)まで待たねばならなかった。つまり、メディアが大きく報じたのは4月末から5月にかけてであり、その後6月にホルムズ海峡の通航正常化・停戦合意が進むにつれて報道量自体が先細りしていった、という時間的な構造がある。
3. 絶対量で見るナフサ・原油・揮発油の推移
ナフサそのものの輸入量は、財務省貿易統計の9桁統計品目番号でしか追えず、月次の報道発表資料(速報・確報のサマリー版)には独立掲載されない。そのため以下の数値は、日本経済新聞が財務省の9桁統計をもとに報じた数字を引用する(一次情報そのものではなく報道経由である点に留意されたい)。
| 区分 | 4月 | 5月 |
|---|---|---|
| ナフサ輸入量(合計) | 114万KL(▲47%) | 152万KL(▲13.8%) |
| うち中東 | 34万KL(▲79%) | 13万KL(▲89.9%、全量UAE) |
| うち中東以外 | 80万KL(+52%) | 139万KL(3倍) |
| うち米国 | 27万KL(209倍) | 51万KL(6倍) |
| うちEU | — | 25万KL(3倍) |
なお、ナフサ単体の数字はサマリー版の貿易統計には掲載されないため、揮発油・LNG(いずれも財務省貿易統計から直接取得した一次情報)は、燃料油全体の代替調達シフトを確認する参考指標として位置づけられる。揮発油の▲13.7%、LNGの▲15.1%という5月の落ち込み幅は、ナフサの▲13.8%という回復ペースとほぼ重なっており、中東以外への調達シフトが燃料油全体で同時並行的に進んでいることを示唆している。
この数字が示すのは明確だ。絶対量で見れば、5月の段階でナフサ不足はかなりの程度解消方向に向かっている。前年比▲47%→▲13.8%まで急速に縮小し、中東以外からの輸入は3倍に拡大した。経済産業省も5月の国内ナフサ供給量について「国内精製分と代替調達分を合わせると、24年の月平均(約280万KL)の85%まで戻る」との見通しを示していた。
つまり、4月は絶対量不足が支配的な要因だったが、5月にかけてその要因はかなり後退している。にもかかわらず、ナフサ価格・石化製品価格は高止まりしたままだった。ここで次の疑問が生じる——「量が戻っているのに、なぜ現場は楽にならないのか」。
4. それでも上がらない稼働率——エチレン生産設備のデータ
ここに、絶対量とは別のレイヤーで起きている問題が現れる。石油化学工業協会が毎月発表しているエチレン生産設備の稼働率だ。
| 月 | エチレン稼働率 | 備考 |
|---|---|---|
| 2月 | 75.7% | 2025年6月以来の低水準 |
| 3月 | 68.6% | 統計開始(1996年)以来、当時の最低 |
| 4月 | 67.3% | 過去最低更新 |
| 5月 | 68.1% | わずか+0.8ptの回復、3ヶ月連続で6割台 |
ナフサ輸入量が前年比▲47%→▲13.8%まで急回復した一方で、稼働率は67〜68%のレンジからほとんど動いていない。「量の回復」と「稼働率の回復」が連動していない——これが本記事の核心的な観察である。
石化協の工藤幸四郎会長(旭化成社長)は4月の記者会見で、稼働率低下について次のように説明している。「(エチレン)供給を続けるため、稼働率を下げる運用を行っている」。これは原料が物理的に無いから止めているのではなく、設備を完全停止させず低稼働で運転し続けるという、意図的な運用判断だという説明だ。エチレン設備は一度停止すると再稼働に時間がかかるため、原料調達の不透明感が続く中では「止めない」こと自体が優先されてきた。
5月の稼働率発表時には、三菱ケミカルグループが「6月からはナフサの調達制約による減産は解消され、需要に応じた生産に移行している」とコメントしており、稼働を左右する要素が「原料調達の不透明感」から「需要動向」へ移りつつあることを示唆している。これも、絶対量不足というより、別の要因(在庫・発注行動・需要見極め)が稼働率を規定し始めていることの傍証だ。
5. 「目詰まり」の中身を分解する——3つの仮説
政府が繰り返し使う「目詰まり」という言葉は、具体的に何を指しているのか。一次情報・報道を突き合わせると、少なくとも3つの異なるメカニズムが混在していると考えられる。
経済産業省は「需要側の過剰な発注が各種製品の流通の目詰まりにつながる事例もある」と指摘している。値上げ観測や供給懸念から、企業が通常より多く発注し、結果として特定の品目・特定の流通段階に偏在が生じる。実際、接着剤業界では3月下旬から過剰発注が発生し、業界団体が4月20日に適正購買を呼びかける事態になっている。
②代替原料の品質・組成差
中東産ナフサと米国・欧州産ナフサでは性状(組成)が異なり、精製設備側の処理に負荷がかかる可能性が指摘されている。「量はある」でも「必要な種類が届かない」という、品目レベルでのミスマッチが生じているとの報道もある。
③設備運用上の選択
工藤会長の発言通り、エチレン設備を止めないために意図的に低稼働で運転を続けている。これは原料不足への対応というより、設備保全上のリスク回避策であり、絶対量不足とは別の論理で稼働率を押し下げている。
これら3つはいずれも「絶対量不足」とは異なる種類の制約であり、政府の「川上の供給量は足りている」という説明と整合する。逆に言えば、5月時点で「量はある」という政府の言葉自体は、財務省貿易統計の数字から見て、ある程度妥当性がある。
では、なぜ量が戻りつつあるのに価格は高止まりしたままなのか。これも単一の要因ではなく、複数のコストが積み重なっていると考えられる。第一に、代替調達そのもののコスト増だ。中東以外からのナフサは輸送距離が長くなる分、海上運賃や戦争危険保険料が嵩み、調達単価を押し上げる。ブルームバーグは2026年5月25日、ホルムズ海峡の通航再開交渉が進む中でも、戦争危険を反映した海上保険料は高止まりする可能性があると報じており、量の回復と価格の高止まりが両立しうることを裏付けている。第二に、品質調整コストだ。米国・欧州産ナフサは中東産と組成が異なるため、精製設備側での調整(処理条件の変更、ブレンドの最適化)が必要になり、これも見えにくい形でコストに転嫁される。第三に、在庫心理による需要側の行動だ。供給不安が続く局面では、企業は通常より厚めに在庫を持とうとする傾向があり、これが先述の「過剰発注」を招き、需給を実態以上にタイトに見せる効果を持つ。なお、4月の原油供給は輸入減少分を備蓄放出(約643万KL)で相当程度埋め合わせたが、これは国内精製分の維持には寄与しても、輸送コスト・保険料といった価格面の上昇圧力そのものを直接緩和するものではない。量の数字だけを追っていると、こうした価格面の粘着性は見落とされやすい。
6. 経団連の異論——「マクロとミクロの乖離」
ただし、この「足りている」という政府の説明に対して、経団連などは異論を唱えている。「マクロな在庫量と、ミクロな現場での目詰まりには乖離がある」というのがその趣旨だ。
政府が示す「国内需要4ヶ月分を確保」という数字は、ナフサの国内精製分・輸入分・川中製品在庫を合算したマクロな集計値である。一方、現場では樹脂やシンナーなど特定品目の供給不足を訴える声が絶えないという報道もある。マクロな平均値では「足りている」としても、企業ごと・品目ごとのミクロな配分では偏りが生じている可能性は否定できない。
この乖離は、ナフサという単一原料から多種多様な誘導品(エチレン、プロピレン、各種樹脂、合成ゴム、合成繊維等)が枝分かれして作られる、ナフサクラッカーという生産構造そのものに起因する可能性がある。上流(ナフサ)の絶対量が回復しても、特定の誘導品ラインへの配分が需要側の発注行動によって偏れば、現場レベルでは「足りない」という実感が残り続ける。
7. 暫定的な見立てとして
3〜5月の一次情報を時系列で並べると、「絶対量不足」と「目詰まり」は対立する二択ではなく、時期によって主因が入れ替わる連続的なプロセスとして捉えるのが妥当だと考えられる。
4月:絶対量不足が支配的(原油▲63.7%、ナフサ▲47%、エチレン稼働率67.3%で過去最低)
5月:絶対量はかなり回復(ナフサ▲13.8%)も稼働率は68%台で停滞——主因が「目詰まり」側へシフトしつつある可能性
政府の「足りているが目詰まり」という説明は、4月10日という早い段階で打ち出されたものであり、当時はまだ絶対量不足の影響が色濃く残っていた時期だった。その意味では、政府の説明が先行し、統計がそれに追いついてきた、という見方もできる。5月の数字を見る限り、6月以降はこの「目詰まり」の中身——過剰発注なのか、品質差なのか、設備運用上の選択なのか——をさらに分解していくことが、ナフサ問題を理解する上での次の焦点になる。
本記事は政府の説明を否定するものでも、追認するものでもない。数字の内訳を読者自身が判断できるよう、一次情報と報道を整理することを目的としている。6月分のエチレン稼働率(7月発表予定)と6月分貿易統計(7月発表予定)で、この「目詰まり」優位の構図が定着するのか、あるいは別の変化が生じるのか、引き続き検証していきたい。
今回一番面白かったのは、3月の中東原油が前年比+4.5%だったという事実です。封鎖から1ヶ月経っているのに数字上は「増えている」——貿易統計の計上ルール(輸入許可日基準)を理解していないと、これは完全にミスリードになります。一次情報を扱う怖さと面白さを同時に感じました。
そして本題のナフサについては、「絶対量不足」と「目詰まり」のどちらか一方が正しいという単純な話ではなく、4月から5月にかけて主因がバトンタッチしているように見える、というのが今回たどり着いた暫定的な結論です。エチレン稼働率が量の回復に連動していないという「ねじれ」は、グラフにして並べてみるまで気づきませんでした。6月分のデータが出たら、このねじれが解消に向かうのか、それとも固定化するのか、続編で検証したいと思います。
📚 出典
- 財務省「令和8年3月分貿易統計(確報)」2026年5月28日発表
- 財務省「令和8年4月分貿易統計(確報)」2026年6月26日発表
- 財務省「令和8年5月分貿易統計(輸出確報・輸入9桁速報)」2026年6月26日発表
- 日本経済新聞「ナフサ輸入が5割減、中東以外からの代替調達5割増 4月の貿易統計」2026年5月28日
- 日本経済新聞「ナフサ代替調達3倍に、欧米からの輸入増 5月貿易統計」2026年6月26日
- 日本経済新聞「エチレン設備稼働率、3月68.6%で最低 原料調達の多様化で稼働継続」2026年4月23日
- 日本経済新聞「エチレン設備稼働率、4月67.3%で最低『5月以降は改善へ』」2026年5月21日
- 日本経済新聞「エチレン設備稼働率、5月68.1%で4月から改善 原料の中東外調達進む」2026年6月18日
- 経済産業省「中東情勢を踏まえた燃料油・石油製品の安定供給確保及び重要物資の安定的な供給確保のための対応方針(案)」2026年4月10日
- 経済産業省「中東情勢を踏まえた燃料油・石油製品の安定供給確保及び重要物資の安定的な供給確保の対応状況」2026年4月30日
- ジェトロ「日本の4月の石油化学製品生産は前月より増加、前年同月比で減少も在庫活用や中東以外から調達」2026年5月22日
- Bloomberg「ホルムズ解放でも『海上保険』高止まり?-日本の貿易支える仕組み」2026年5月25日
- 時事通信「エチレン生産、3.6%増=4月、稼働率は過去最低―石化協」2026年5月21日

