【為替介入の歴史】金本位制離脱から2026年日米協調介入まで~360円防衛からドル防衛まで100年の攻防
2026年8月3日|ぱぶちゃんのファンダメンタルlab
令和8年熊本地震により、多くの尊い命が失われましたことに深く哀悼の意を表します。また、被災された皆様、そしてご家族・ご関係者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。一日も早く皆様が平穏な日常を取り戻せますよう、被災地の復旧・復興を心からお祈りいたします。
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日本の為替介入の歴史は、①1931年の金本位制離脱②1971年の固定相場崩壊③1985年以降の「円高阻止」の連続④2022年以降の「円安阻止」への完全反転、という4つの局面で理解できる。2026年7月31日の日米協調円買い介入は、円買いでの日米協調では1998年以来28年ぶり、協調介入自体は2011年の東日本大震災以来15年ぶりという歴史的な出来事だった。
📚 本記事は全3回シリーズの第1回(歴史編)です。第2回は資金調達の仕組み、第3回は法律・財源論を扱います。
📖 為替介入シリーズ全3回
- 第1回:為替介入の歴史(本記事)
- 第2回:為替介入の仕組み(資金調達とオペレーション)
- 第3回:得た円はどこへ消えるのか(法律・財源論)
📋 目次
1|金本位制から管理通貨制度へ
日本は日清戦争の賠償金を元手に1897年、金本位制を導入した。しかし第一次世界大戦中の1917年9月に一時停止(金輸出禁止)され、その後1930年に一度復活したものの、1931年12月に完全に廃止された。
1930年、浜口雄幸内閣の井上準之助蔵相が金輸出解禁(金本位制復帰)を実施したが、世界恐慌と重なって深刻な昭和恐慌を招いた。その反省から、若槻礼次郎民政党政権が崩壊し犬養毅政友会政権が成立した1931年12月13日、5回目の大蔵大臣に就任した高橋是清はその日のうちに金輸出再禁止を決め、再び金本位制から離脱。日本は金本位制を完全に放棄して管理通貨制度へと移行した。
高橋財政は低為替政策(円安誘導)も同時に推進。円安を背景とした輸出の急増によって、世界の主要資本主義国のなかで最も早く恐慌からの脱出を果たした。管理通貨制度への移行は、単なる制度変更ではなく「意図的な自国通貨安誘導による景気浮揚」という、現代にも通じる政策思想の原型だったといえる。
2|固定相場制から変動相場制への移行
1931年の管理通貨制度移行から約18年、日本は日中戦争・太平洋戦争、そして敗戦と占領期という激動を経験する。戦時経済下では為替市場そのものが機能を失い、戦後はGHQの占領統治下で新たな通貨秩序の構築が急務となった。
第二次大戦後、1949年にドッジ・ラインの一環としてGHQ主導で1ドル=360円の固定相場が設定された。ブレトンウッズ体制下でIMF加盟国は自国通貨を米ドルに固定し、米ドルは金1オンス=35ドルに固定するという二段構えの仕組みだった。
1971年8月15日、ニクソン米大統領が金とドルの交換停止を発表(ニクソン・ショック)。同年12月のスミソニアン協定で1ドル=308円に切り上げられたが、ドルの下落は止まらず、1973年に完全変動相場制へ移行した。22年間続いた360円時代はこうして終わりを告げた。
3|1ドル360円を維持するためにやってきたこと
IMF加盟国はIMFが決めた平価の上下1%以内に収める義務があった。360円は「市場が決めた相場」ではなく、動かせる幅がそもそも極めて狭いIMF公式レートだった。
| 主体 | 主な手段 |
|---|---|
| 日本 | 外国為替及び外国貿易管理法による厳格な資本規制、外貨集中制度(輸出で得た外貨を政府に強制集中)、外国為替資金特別会計による狭い範囲での介入 |
| 米国 | 金プール、金利平衡税、対外直接投資規制などの「ドル防衛策」 |
この日本・米国それぞれの防衛策に加え、日米間ではFRBと日銀のスワップ協定やIMF融資枠といった協力の枠組みも用意されており、いざという時の後ろ盾になっていた。
日本側の本質は「介入」よりも「そもそも自由な為替取引をさせない」という資本規制にあった。個人・企業が外貨を自由に保有・取引することは原則禁止され、貿易や資本取引はすべて政府の許可制。投機マネーが円に流入・流出する余地自体を制度的に封じていたことが、360円を22年間維持できた本質的な理由だった。
4|変動相場制で円高になった理由と円高阻止の歴史
戦後から2010年代前半まで、日本は一貫して経常収支黒字国だった。貿易黒字が継続的に円買い需要を生み、放っておくと円高が進みやすい構造にあり、円高は輸出企業の競争力を削ぐため、政府・日銀にとって「行き過ぎた円高を止める」ことが優先課題であり続けた。
1985年9月22日、ニューヨークのプラザホテルでの主要5カ国蔵相・中央銀行総裁会議で、ドル高是正のために協調介入を行うことが合意された(プラザ合意)。ドル/円相場は約2年間で240円水準から120円台へ下落し、ドルの価値は対円で半分になった。1987年2月には行き過ぎたドル安を是正するルーブル合意(G7)が結ばれ、安定化路線へ転換した。
1994~95年にはクリントン政権の「ドル安」政策による超円高が発生。1995年4月には1ドル=79円75銭という当時の戦後最高値をつけた。同年1月の阪神淡路大震災後の混乱も重なるなか、7月に日米協調のドル買い・円売り介入(通称「七夕介入」)が実施され、円は年末までに103円台まで戻した。
2003~2004年には、日銀の量的緩和政策と並行して2年間で合計約35兆円という空前の規模の介入が実施された。これは史上最大の円高阻止局面であり、日本の外貨準備が数千億ドル台から現在の「兆ドル」規模へと膨らむ土台を作った。
2010年9月にはリーマン後の円高への単独介入(約2.1兆円)、2011年3月には東日本大震災直後の急激な円高(76円25銭)を受けたG7協調介入、さらに同年8月・10月には欧州債務危機を背景とした単独介入が行われ、この年だけで合計約16兆円規模の円売り・ドル買い介入が実施された。
5|協調介入と単独介入の違い
- 単独介入:1カ国のみが自国の資金で実施
- 協調介入:2カ国以上が合意のうえ、各当局が自国の資金とオペレーションで同時・連続的に実施。単独介入より相場安定効果が高いとされる
- 委託介入:財務大臣の代理人である日銀が、海外の通貨当局に介入を委託(資金はあくまで日本のもの)
- 逆委託介入:海外の通貨当局から日銀が委託を受けて介入(資金は委託した海外当局のもの)
日本の協調介入は歴史的に極めて稀で、1995年7月(七夕介入、阪神淡路大震災後の円高是正、日米協調のドル買い・円売り)、1998年(アジア通貨危機、日米協調のドル売り・円買い)、2000年(ユーロ安、G7協調)、2011年(東日本大震災後、G7協調)、そして2026年(円買い、日米協調)の5回にとどまる。特に円買い方向での日米協調は1998年以来28年ぶり、協調介入自体も2011年以来15年ぶりという、極めて異例の事態だった。
6|為替介入の歴史年表
| 年 | 方向 | 種別 | 規模/背景 |
|---|---|---|---|
| 1931 | (金本位制離脱) | - | 昭和恐慌対応 |
| 1985 | 円売り・ドル買い | プラザ合意(G5) | ドル高是正 |
| 1987 | - | ルーブル合意(G7) | ドル安の安定化 |
| 1995.7 | 円売り・ドル買い | 日米協調(七夕介入) | 超円高・阪神淡路大震災後の対応 |
| 1998.6 | 円買い・ドル売り | 日米協調 | アジア通貨危機 |
| 2003-04 | 円売り・ドル買い | 単独(最大) | 約35兆円 |
| 2011.3 | 円売り・ドル買い | G7協調 | 東日本大震災 |
| 2011.8/10 | 円売り・ドル買い | 単独 | 欧州債務危機 |
| 2022.9-10 | 円買い・ドル売り | 単独(24年ぶり) | 急激な円安 |
| 2024.4-7 | 円買い・ドル売り | 単独 | 160円台 |
| 2026.4-7 | 円買い・ドル売り | 単独→日米協調(28年ぶり) | 歴史的円安是正 |
こうして並べると、日本の介入史が「基本的に円高阻止のための円売り」を長期のデフォルトとし、「円安阻止のための円買い」は1998年と2022年以降というごく例外的な局面に限られてきたことが分かる。この非対称な構図は、次回の「仕組み編」で解説する資金調達方法の違いとも密接に関係している。
出典
- 内閣府「第1節 日本経済とグローバル化(3)」
- PIMCO「プラザ合意とルーブル合意の真の教訓」
- ダイヤモンドオンライン「高橋是清のインフレ政策で昭和恐慌から脱出(1931-32年)」
- 神戸大学経済経営研究所「「伝説のケインジアン」―高橋財政期の低金利政策について―」
- マネクリ(マネックス証券)「為替介入に「回数」制約はあるのか?」
- 日本経済新聞「日米欧が円売り協調介入 G7合意受け」(2011年3月18日)
- note(宮野宏樹)「円安阻止へ日米の波状介入」
- 日本経済新聞「協調介入とは 円買い局面での実施は28年ぶり」(2026年8月2日)
- イミダス「日本の外貨準備、1兆ドル超え」
✍️ 執筆者/ぱぶちゃん|投資歴6年/ぱぶちゃんのファンダメンタルlabを事実ベースで解説するブログを運営中。相場の「なぜ?」を一緒に考えましょう。ナンピンは得意です。/X(旧Twitter):@pablo29god
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